HANS
―闇のリフレイン―


夜想曲2 Kugel

4 悪い子です


「君がここに来た目的は何だ?」
結城が尋ねる。が、答えはない。互いに距離を取って相手の隙を窺っている。
(この男は能力者だ。しかも、かなりの実力を持っている)
互いの心に吹く風がそう認識させた。
「ふふ。驚いた。こんなところで能力者に会うなんて……」
ハンスが言葉で先制攻撃を仕掛けた。
「こんなところだって? 君の方こそ部外者だろ? 修学旅行専用列車に紛れ込んで何をするつもりだ?」

「何も……。僕はただ偶然乗り合わせただけですよ」
ハンスが答える。
「わざわざそんな変装をして?」
「だって、これを着てないと入れてくれないって意地悪言うんですよ。若井先生とかがね」
ハンスには少し長過ぎる袖を引っ張って言う。
「それは平河の制服なんだな?」
「さあ。どうでしょう?」
ハンスが笑う。

「平河をどこへやった? うちの生徒に危害を加えたら許さないぞ! 生徒達の安全は僕が守る!」
男の周りに風が集まり出した。
「それは奇遇ですね。僕も生徒達を守りたいと思ってるんです」
彼は9号車へ通じるドアの前に立った。が、その時。結城の手の中に光のタクトが現れ、周囲の風を取り込んで閃いた。そして、放たれた風がハンスの身体を包み、動きを封じた。
「へえ。あなたも音楽をやるんだ。僕もですよ。僕達、案外気が合うかもしれませんね」
そう言うとハンスは自分を包んでいる風をさらりと払った。
それから彼らは互いを見据え、列車が僅かに軋んだ瞬間、同時に風を放った。

その力は拮抗し、デッキの中に吹き荒れて、相手に向かって鋭く唸った。
結城のタクトが風を穿てば、ハンスの纏った闇のマントがそれを絡めて渦を巻く。
ハンスが宙へ飛び上方から放った風の弾丸を、結城が跳ね返す。
二人の攻防は一進一退を繰り返し、互いを闇の風の罠に囲い込もうとした。
「へえ。あなた、なかなか鋭いね。僕が打ち込もうとする鍵盤がわかるみたいだ」
ハンスの言葉に驚く結城。
見ると、渦巻く風の中に鍵盤が並び、奏でる男の指が触れる度、あらゆる角度から音が降り注いだ。
それはばらけた狂気の音階のようでもあり、美しいメロディーの片鱗のようでもあった。が、どちらにせよ、それは結城の心に強く食い込んで来た。

「まさか、君があの伝説のピアニスト……!」
結城がそう言い掛けた時、ハンスの左手が閃いて、その首を強く掴んだ。
「それ以上、一言でも言ってみろ! 喉を掻き切るぞ!」
すべては闇に覆われていた。列車は長い橋梁を渡り、ガタンガタンと鉄のリズムを刻む。
それは黄泉の国へ続くような絶望を伴っていた。
「……だ…が、彼は確…か1年前に……」
喉を押さえ付けられている結城は絞り出すように言った。
「そうさ。奴は死んだ。一年前にね。ここにいるのは奴の影。報われないピアニストの哀れな影さ」
闇を羽織ったガイストが下から覗く。その唇から言葉が発せられる度、空気が震え、ガラスが鳴った。

「茶番はおしまいだ。さあ、言ってもらおうか? 仕掛けたのは何処だ?」
低い声でハンスが囁く。
「仕掛けただって? 何の…ことだ……?」
喘ぐように男が訊いた。
「ふうん。さすがは教育者。上からもよく教育されてるじゃないか。おまえのボスは誰だ? 言えば、少しはこの手を緩めてやってもいいぞ」
結城が苦痛に顔を歪めた。
「さあ、言え! そうしたら、楽に殺してやる!」
さらに締めあげると男の唇が微かに動いた。
「ようやく言う気になったか?」
その手を少しだけ緩め、襟を掴んだ。すると、結城は激しく咳込んだ。そんな彼の様子を見ながらハンスが呟く。
「もっと早くその気になれば、苦しい思いなどしなくて済んだのに……」

僅かに視線を逸らしたその瞬間、結城が振り上げたタクトが彼の左肩を激しく打った。苦痛のあまり、咄嗟に手を放した彼を押さえ付けて、結城が上に立った。形勢は逆転し、今度は結城がハンスの襟首を掴んで締めあげた。彼は苦痛に呻き声を漏らした。
「こっちも訊きたいことがある」
結城が言った。
「君の目的は何だ? 何故こんなことをする? 浅倉に頼まれたのか? それとも闇の民関係か?」
「闇の民……?」
ハンスにはその意味がわからなかった。

(知らない単語だ。闇の民。浅倉……。どういうことなんだろう? もしかして、これはまったく別件の……)
結城は確かに風の使い手としては熟練している。しかし、邪悪さは感じられない。生徒達を守ろうとしているのも事実だろう。
(だとしたら……?)
ハンスは腕時計を見た。もう発車してから1時間近くも経過している。
「名古屋は?」
ハンスが訊いた。
「さっき通り過ぎた」
結城が言った。

「通り過ぎただって?」
ハンスは跳ね起きた。作戦では名古屋で停車することになっていた。
「何故だ?」
この作戦にはジョンが関わっていた。もしもの時にはシステムに侵入して強引に止める。失敗のない方法だった筈だ。しかし、実際はそうはならなかった。
(まさか。ネットワークが切断されたのか?)


ルドルフはハンスと別れた後、すぐにマイケルと合流し、現場に向かった。それは、やはり新幹線の走行路である鉄橋の橋桁にあった。が、それはハンスが乗った新幹線内に潜んでいる犯人と連動している訳ではなく、時限爆弾により、ターゲットが乗った列車を爆破する、つまりテロに見せ掛けた暗殺計画だった。
「標的は?」
「14時01分発「のぞみ」244号。そこに乗っている南雲儀一。弁護士で、政治家絡みの事件を担当している。主に性被害を受けた女性の相談を受けて、必要があれば告訴も辞さない。政治家達からは疎ましがられている。それが、先日、タブーだと言われて来た官房長官の地雷を踏んでしまったのさ」

「それだけのことで大勢の命を犠牲にしようというのか」
マイケルの説明を聞いた男が苦々しい表情をする。
「奴らは昔から甘い汁を吸って来たぼんぼんですからね。そんなスキャンダルがバレれば安泰ではいられない。自らの地位を守るためには何だってしますよ」
「腐ってるな」
「その通り。でも、誰にもそれが止められないんです」
「何故?」
「連中には能力者の護衛が付いているからです。もっとも、彼らもそれを公式には認めようとしませんけどね」

「なるほど。それで、こちらも能力者を出して来たという訳か」
「それもあります。でも……」
「でも?」
「今回は異例です。絶対に表には出て来なかった彼らが騒ぎを起こそうとしている。この国で何かが狂い始めているのかもしれません」
「ジョンは何をしようとしている?」
「彼は救おうとしているだけです。自分と同じ能力者が縛られている。それが許せないのだと思う」
「すべての能力者の解放か。それで救われるとも限らないのに……。アメリカらしい考えだ」

「でも、あなた方だって救われたのでしょう?」
「それは、ハンスに訊いてみるんだな」
射し込んだ陽光が二人の水色の瞳に煌めく。
「ハンスが乗っている列車の犯人はあくまでも個人に対するものです。爆弾を所持しているのは確かですが、必ずしも実行まではしないかもしれない」
「では、下手に刺激をしない方がいいということか」
「そうですね」
しかし、それをハンスに連絡することはできなかった。携帯が圏外になっていて電波が届かないのだ。念のため、ジョンにも通信を入れてみたが、そちらも通じない。

「コンピュータ・ネットワークが遮断されている」
「では、列車の管制システムも作動しないということか?」
それでも、新幹線は通常通り走り続けていた。異常事態に気づいた運転手達が手動運転に切り替えたのだろう。
「どちらにせよ危険物は取り除いておく必要がある」
話をしている間にも、狙撃するタイミングと位置を定めようとヘリコプターは何度も川沿いを往復した。

「よし! いい位置だ。このまま少し高度を下げてくれ」
ポイントを見つけたルドルフが指示する。狙撃は慎重に行わなければならない。誤って起爆装置が作動するようなことがあれば、それこそ大惨事だ。
彼は神経を集中した。そして、ポイントを見定め、トリガーに指が掛かった時。
「敵だ!」
マイケルが叫んだ。男がヘリに向けて銃を構えていた。が、咄嗟に撃ったルドルフの銃弾が狙撃して来た男の肩に命中し、発射された弾丸は空を切った。それは木曽川を行くモーターボートからの攻撃だった。相手は負傷した男も含めて4人。ルドルフが再び銃を撃ち、一人を仕留めた。

だが、時間は刻一刻と過ぎている。ハンスが乗った新幹線が通り過ぎた。およそ30分後にはターゲットの乗った新幹線がここを通る。それまでには決着をつけなければならない。

マイケルは巧みにヘリを操縦し、攻撃をかわした。そして、ルドルフも的確に応戦し、さらにもう一人の敵を倒した。が、そこにも一人、能力者が乗っていた。風の力で弾丸を弾き、暴風を起こしてヘリのバランスを危うくした。
「ルドルフ! 操縦を代わってくれませんか? 僕が奴の相手をします」
「わかった。だが、あまり時間がないぞ」
「5分で決着を付けて来ます」
そう言うとマイケルは風を纏うと宙に飛んだ。
それから、能力者同士の船上での攻防が始まった。
流れの中で風が飛沫を上げ、波を起こしてボートを激しく回転させた。

「何故こんなことをする? 爆弾が破裂すれば、関係のない大勢の人も死ぬことになる。騒ぎを起こし、不特定多数の人々を殺すのが君達の目的なのか? それじゃ、単なるテロ行為じゃないか」
ボートの上に立ったマイケルが言う。
「花を咲かせるのさ」
その男が言った。
「何だって?」
「俺達はずっと虐げられて来た。上の言うことには従順に従って……。今回だってそうさ。花を咲かせるために俺達がいる。何も変わることはない。ずっと前から……」

「上の者とは誰のことだ?」
男は答えず、にたりと笑ってマイケルに襲い掛かった。
「やめろ!」
風の中でナイフが煌めく。
その時、一発の銃弾が男の頭部を貫いた。
そして、上半身を折るように倒れた。
「花を……あの方のために……」
それが最後の言葉だった。

「狂ってるな」
ルドルフが言った。ホバーリングさせていたヘリから彼が撃ったのだ。
「そう。奴は狂っていた」
ヘリに戻ったマイケルが言った。そして、再び操縦を代わり、上昇した。敵のボートがゆっくりと鉄橋を越えて行くのが見えた。

ルドルフは橋梁に仕掛けられた爆弾をライフルで弾き飛ばした。落下したそれは敵のボートに当たって爆発した。マイケルはそれら一連の動きをカメラに納めていた。彼の表向きの職業はカメラマンであり、今回のデータは今後のための貴重な資料になるだろう。
「この国には闇がある。だが、その全容はまるで見えて来ない」
死んだ男も、捕らえられた男も、ほんの末端の草に過ぎないのだ。


ハンスは結城の手を払うと、先頭車に向かって駆け出していた。
「ちょっと! 君、待ちなさい! いったい何がどうなって……」
結城もその後を追い掛けた。
ハンスは風のように車両から車両へと駆け抜けて行った。
「結城先生! 何者ですか? あの輩は」
ただならぬ様子と見て4号車に乗っていた武蔵野が駆け付けた。彼女は社会科担当教師だったが、剣道の有段者でもある。

「侵入者です」
デッキに出ると結城が言った。
「侵入者? 道理で見たことない顔だと思った。それにしても、いったい何の目的で?」
「それが、僕にもよくわからないんです。ただ、この列車には仕掛けられているとか……」
「それは、爆発物とか?」
「わかりません。とにかく彼を捕まえてみないと……」
彼らは次の車両を抜け、先頭車へ急いだ。

ハンスは辿り着いた運転室のドアを開けようとしていた。
「くっ! ロックが掛かってる。おい! ここを開けろ!」
彼はドアを激しく叩いた。
そこへ結城と武蔵野がやって来て、彼を捕まえようとした。
「そこで何をしている?」
「決まってるだろ? 運転手に用があるんです」
「貴様はテロリストなのか?」
武蔵野が言った。
「テロリストだって? 笑わせないでよ。僕はそのテロリストを捕まえるために来たんだ」
結城も武蔵野も思わず顔を見合わせた。俄かには信じられなかったが、ハンスは真剣だった。

「ぼうっとしてないで、手伝ってよ。ここを開けて爆弾がないか調べるんだ」
「爆弾だって?」
二人は驚いて彼に訊いた。
「本当なのか?」
「この列車に仕掛けられたという証拠があるのか?」
「そんなこと知るもんか。けど、時間がない」
「パーサーを呼んで来ましょう」
結城が言った。
「では、私が……。結城先生は念のため、そいつを見張っていてください」
そう言うと武蔵野は客車に消えた。

「君、名前は?」
結城が改めて問う。
「平河ですよ」
ハンスが答える。
「それはさっきも聞いた。本当の名前を教えてくれないか? もしも、君がテロリストを捕まえに来たと言うのなら……」
「本当の名前? いっぱいあり過ぎてわからないよ。どの名前で答えたらいいのかな?」
「偽名じゃない名前が本当の名前だろ?」
「偽名って何?」

その時、武蔵野と車掌が慌しく入って来た。
そして、事情を説明された車掌が運転席の鍵を開けてくれた。ハンスの両脇を押さえるように武蔵野と結城が連れ立って入る。
車掌が運転手に声を掛け、状況を話す。
「さきほどから信号が途絶えてしまって、本部と連絡が取れなくなっています。制御装置にトラブルがあったようです。手動に切り替えて運転を続けているのですが、何が起きているのか、さっぱりわかりません」
運転手が言った。
「最寄りの駅に停車しようにも、まったく通信が途絶えてしまっているため、かえって危険かもしれないと判断しました。とにかく、目的地まで行く他は……」

運転には問題がないと言うので、そのまま走らせながら、周囲を皆で確認した。そこに怪しい物はなく、乗務員にも不審な点はなかった。
「しかし、このまま走って行った先に爆弾が仕掛けられているということは?」
武蔵野が懸念する。
「その可能性はありますが、新幹線は過密スケジュールになっています。後続車に連絡が着かない以上、へたに停車するのは危険です。追突事故が起きてしまう。そうなれば、大惨事です」
車掌が言った。
「確かに……」
結城も頷く。

「あとは、荷物の中に紛れてないかを調べるしかない」
ハンスが言った。
「生徒の中に犯人がいるとでも言いたいのか?」
武蔵野が憤慨したように言う。
「知らない間に仕掛けられるってこともあるでしょ?」
ハンスが薄く笑う。
「それもそうだ。早速、持ち物検査を実施しましょう。武蔵野先生、校長を呼んでもらえませんか?」
結城が促す。

それから、車内放送で職員を集め、ただちに持ち物検査を実施した。
「しかし、この新幹線には、うちの学校だけではなく、藤ノ花高校の人達も乗っている。もし、あちら側に仕掛けられていたら……?」
「それなら、そこの体育教師の狭山先生にお願いしましょう。彼は学年主任をしていて、校長とも遠縁だそうですから……」
体育科の厚井が申し出てくれたので、そちらもスムーズに話が通った。

突然の持ち物検査に生徒達はブーイングしたが、検査は速やかに実施された。それはいつになく厳しく、念入りに行われた。もし爆発が起これば、甚大な被害が及ぶ。大事な生徒や自分達の命が掛かっているのだ。
校則違反の品物が山のように没収されたが、爆弾らしき物は見つからなかった。
「そんな物本当にあるんですかね?」
無理やり起こされて赤い目をした若井がぼやく。
「それにしても、酒に煙草、エロ本……生徒達もたるんでいる証拠ですよ。帰ったら厳しく指導しないといけないようです」
武蔵野が嘆く。

「どうして、それらがいけないですか?」
ハンスが訊いた。
「未成年者には相応しくない物ばかりだからですよ。第一、校則違反ですからね。高校生たる者、勉学に勤しむのに邪魔な品物ばかりだ」
「僕は勉強とそれとはまったく別の問題だと思うけど……」
ハンスはそう言い掛けてはっとした。一人の生徒が通路を歩いて行くのが見えたからだ。
(あの子、校章を付けていなかった)
今はハンスも校章を外していたが、他にそれを外している生徒はいなかった。特に藤ノ花高校では校章の着用が徹底されている。車内で落としたのかもしれないが、気になった。彼は急いでその生徒のあとを追った。

「待て! 君はどっちの生徒?」
「藤ノ花高校です」
「校章は?」
「ああ。どこかに落としてしまったようです」
「何故、宮坂の車両にいた?」
「ちょっと知り合いがいるもんで……」
「知り合い?」
それは不自然だとハンスは思った。
どちらの学校も自分のところの生徒以外の者を気軽に通してはくれない。ましてや、今、藤ノ花では持ち物検査が実施されている筈だ。

考えられるのは、その検査が自分に及ぶと困るからだ。荷物ではない、彼自身が怪しいのかもしれない。ポケットか、体に密着させて何かを隠し持っている可能性が高い。
「君のポケットの中を見せてよ」
ハンスが言った。
「何故です? 先生でもないのに……」
「だって、この検査の提案をしたのは僕なんだもの。さあ、上着も脱いで。僕がボディーチェックしてやる」
ハンスが近づくと少年は後ろに下がった。
「何怯えてるの? 怪しくないなら見せても問題ないでしょう?」
ハンスが笑う。

「いやだと言ったら?」
「それは悪い子です。でも、こうすれば見せてくれるかな?」
ハンスが風の網を投げ掛ける。と、その生徒はさっとそれを避けて洗面台の方へ身を寄せた。
「やっぱり君も能力者だったんだね」
「いきなり攻撃して来るなんてずるいですよ」
少年が言った。
「ずるい? 君だって生徒の振りをして紛れ込んでいたくせに……」
「紛れ込んだ? 酷いな。あなたと違って、ぼくはもともと、藤ノ花高校の生徒ですよ」

「なら、何故自分が所属している学校に危険が及ぶようなことをする? ここで爆発なんか起こせば、君も君の友達もみんな死ぬかもしれないのに……」
「友達? ぼくにはそんな者いませんよ。それに、ここで爆発させるなんて一言も言ってません。みんな、あなたの妄想ですよ」
「じゃあ、インターネットを遮断したのも偶然なのか?」
「さあね。それは他の誰かがやったんでしょう。つまらないことを嗅ぎ回っているネズミがいたもんで……」
「やっぱり他に仲間がいるんだんね? 本当の目的は何なの?」
「本当の目的? それは……」
その時、車両のドアが開いて結城が駆け付けて来た。

「おや、結城先生まで……。こんな狭いところに能力者が三人。どうしましょう。力が暴走してしまうかもしれないな」
少年が言った。
「こいつが犯人なのか?」
結城が訊いた。
「犯人? いやだな。結城先生。ぼくはずっとあなたのファンなのに……。もう3年も前からあなたの傍にいたんですよ。気が付きませんでしたか?」
「3年だって……」
そうだとすれば、結城が留学先のベルリンから帰国した時からずっと監視していたということになる。

「ストーカーか。君はそんなに結城先生のことが好きなの?」
ハンスが訊いた。
「ええ。熱烈に……」
少年はそう答えたが、瞳に感情はなかった。
「それじゃあ、今告白したらどう?」
ハンスが言った。
「いいですね。でも、迷うな。だって、初恋の人の前では、言いにくいじゃないですか」
「初恋だって?」
ハンスが戸惑うようにその顔を見つめる。
「そうですよ。まさか、こんなところで会うなんて思わなかったから、心の準備ができていないんです」

少年は何かを見定めようとしていた。背後には雄大な富士山が姿を現そうとしている。
(こいつはただの高校生ではない。よく訓練された戦闘員だ)
ハンスは自分が受けて来たそれを思い出し、その者の一挙一動を注視した。僅かな視線の動きでさえ見逃す訳には行かない。
その少年は右脇を気にしている。そこに何かがあるのだ。ブレザーの下は僅かに膨らんでいる。そこに隠しているのか。結城もそれに気がついたようだった。彼らは示し合わせたようにじりじりとドアの近くに移動し、少年を追い詰めた。
「さあ、どうした? あとがないぞ」
結城が言った。少年の背中はぴたりとドアに付いていた。

「本当に爆弾を仕掛けたのか?」
「ええ。でも、安心してください。他の人には迷惑をかけたくないので……。やる時には必要最小限の被害になるよう努めるつもりですから……」
「それはどういう意味なのかな?」
ハンスが訊いた。
「見てくださいよ。あなた方の後ろ。日本の象徴たる富士を……。美しいでしょう? 最後の舞台には最高のシチュエーションだ」
少年は結城を見て言う。

「最後の舞台か……」
ハンスは一年前のコンサートを思い出した。
(あれが、僕にとっては最初で最後のコンサートだった……)
煌びやかな照明。密閉されたホール。注がれる熱い視線。張り詰めた空気に震える鼓動。それは今の状況と似ていると彼は思った。
そして、唐突な違和感。カタンと小さく車体が揺れた。それからリズミカルに鉄橋を渡る。長い富士川に掛かるその橋を……。

「ねえ、結城先生」
少年が笑顔を向けた。
「ずっと欲しかったんですよ。あなたが……」
そう言うと少年はおもむろに風を纏うと、突然、結城の腕を掴んで向かいのドアに突進した。